EOS 5D Mark II 動画でiMovie'11の手ぶれ補正機能を試してみたよ!

デジタル一眼を使っての手持ち撮影をする時の悩みのタネが、細かい画面ブレ。
画像が綺麗だと、よけい細かいブレが気になります。

正攻法であればステディカムや三脚使用、簡単な場合だと液晶ビューファインダーとか肩載せリグを使ったり。
ですが、こういった機材はえてして価格が高かったり(その割りに造りが適当だったりする)、また、場所によってはそういった機材使用に制限がかかり使えない場合もあります。なにより撮ってると大袈裟な感じになって、けっこう恥ずかしいです。液晶ビューファインダは使うことも多いんですが、肩載せリグは、なかなか…。

さて、そんなブレ画像を使えるようにするために、動画編集ソフトに手ぶれを補正する機能がついていることあります。
本格的なところでは、Adobe After Effects CS5.5などに搭載されている「ワープスタビライザー機能」。

なんというかかなり凄い機能で、ドリー要らず(言い過ぎ)、なんというかそれ反則じゃないですか的な補正が出来てしまうのですが、
実は、最近のMacを買えばデフォルトでついてくるお手軽な動画編集ソフト「iMovie'11」にも、手ぶれ補正機能が搭載されています。(註1)

ということで、以下でその効果を試してみました。
補正の仕方は結構簡単。

  1. iMovieに取り込んだ動画素材を右クリックして「ビデオを解析」を実行
  2. 解析がカリカリと実施されます。MacBook Pro(Core 2 Duo 2.66GHz + 4GBメモリ)で、30秒のフルHD素材処理に8分くらい
  3. 解析を終えた素材(全部でも一部でも)をプロジェクト内に放り込む
  4. 放り込んだ素材をダブルクリックして「クリップ」タブ⇒「手ぶれ補正」⇒「クリップの動きを滑らかにする」をON

出来上がったサンプルがこちら。
動画がモノクロなのはピクチャースタイルがモノクロ設定だったからです。


大きなサイズで見たい方はこちら(Vimeo)


手ぶれ補正なしではカメラをFIXしたつもりでもぷるぷると画面が揺れていますが、
手ぶれ補正を適用すると画面がぴたりと止まっていることが分かります。これはすごい。
要はブレを打ち消すように画面の中心部を切り取っているので、
端っこが欠けてしまう(上のサンプルでは1〜2%)副作用はありますが、
この機能はとても便利に使えそうです。

カメラをパンした時にどの程度使えるのかについてはこれではよく分からないので、
また気が向いたらテストをしてみます。


註1:以前のIntel Macの人で、iMovieの古いバージョンしか無いよという人向けには iMovie'11へのアップグレードがMac App Storeで売ってます。1300円。明示的に保存が出来ないため、やった作業がちょっと消えたりするなどの割と致命的なバグがあったりしますが、趣味で使うならなかなか便利なソフトです。

ハロウィン

赤山さまが噴火して半年が経った。
この半年は、控えめに言って地獄だった。

まず見渡す限りが灰に埋まってしまった。米を育てるなどは完全に不可能だった。そして租は変わらず取り立てられた。穀物にたぐいするものは何から奪い去られた。やせ細り、目だけをギラギラさせた庄屋さまが涙しながら見ていた、が、庄屋さまの比ではなくぎらぎらした屍のような侍がわさわさとわずかの米と、粟、稗、蕎麦を奪っていった。それらの種籾まで取られた。別の集落では娘が盗られたという話も聞いた。あいつらは鬼だと、力のない声で庄屋さまは言った。あいつらは鬼だが、どうにもならん。

山の奥の窪地にかろうじて隠していた畑も全滅であったように見えた、が、灰を掘り起こすと、地中に埋まっていた芋と、南瓜は無事だった。どこにそんな力が残っていたのかと驚くほど素早く掘り出した。芋は速やかに村中に配られた。重湯にした。じいさまは重湯を待つ間に事切れた。じいさまを埋葬したのは重湯を食べてからだった。誰も何も言わなかった。南瓜の中にひときわ大きなものが一つあった。それは何か神性的なものを放っていた。うっすらと般若の顔のような痣が肌にあった。

「般若様じゃあ、赤山さまがお怒りなのじゃ、これは日田室さまへの怒りなのじゃ、民草のための怒りなのじゃ…」
狐憑の見室のばあさまが繰り返しそう呟いていた。

南瓜はくりぬかれてやはり重湯にされた。我らは決起すべきだ、誰ともなしにそういう話になった。赤山さまの灰の影響がない地域では米価は安いままの筈である。そもそもこの地域では米の生産よりも現金収入となる牛馬出荷で生計を立てている。今後3年にわたる租の減免と廉価米の割り当てを申し立てよう、そう決まった。

南瓜の表面を削って皆の名前を書いた。こうすれば誰が首謀者かは分からない。全員が「他の奴にそそのかされたのだ」と強弁すれば切り抜けられる算段だった。南瓜の表面には実に54名の名前と、血判がしたためられた。くりぬかれた南瓜の中には蝋燭が入れられ、蝋燭のまわりには54名の切った小指が入れられた。私の小指もそこに加えられた。指が腐らぬように見室のばあさまが麝香(じゃこう)で燻した。蓋を閉める時にひどく金気臭かった。小指を落とした農民達の目だけが、薄暗い中に爛々と光っていた。

竃の煤で布を染めた。顔にも煤を塗り、何もかもを真っ黒にした。頬被りをしたものもいたが、彼らも真っ黒であった。灰黒に曇る空に光る、しかしまん丸な朧月の光線が妖しい虹のいろを仄めかせる中、赤くゆらめく麝香角灯を輿に担ぎ、ぞろぞろと歩きはじめた一行は、城下に達するまでに数千の灰黒の集団になっていた。

城下にある藩下の米穀商を囲むと、皆が銅鑼の合図で一斉に塀を壊しはじめた。米蔵もあっという間に破壊され、米俵はその場にぶちまけられた。米を懐に入れようとした不届きな民はその場で打擲された。この様に驚いた藩主は即座に奉行を角灯の前まで派遣し、今後三年の廉価米の割り当てと、租の現物納付を約束した。角灯は申し立てとして奉行に納められた。

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現在の静岡県伊豆半島南部の下田に相当する地で発生したこの"暴動"は、赤山(大室山のことではないかと推定されている)の噴火活動が収まったために一年限りで止むこととなった。
しかしこの麝香角灯と黒装束による上訴騒動が元となり、後年子供たちに対して反権力闘争的教育を施すという側面から高度に様式化された行事として練り上げられた。
後年には南瓜の形をした青銅製の灯りを持って市内を練り歩き、見送る側は行列に対して飴を配る「角灯行(らんたんこう)」として年中行事になっていたが、開国要求のため来日したペリー、ハリスが「角灯行」を見、その光の行列が織りなす美しさに感激し、日本に文明的文化が確かに存在していることを本国への報告書に書き記したことから「角灯行」の行事が欧米に伝わることとなる。
アメリカに伝えられた「角灯行」は、キリスト教的解釈によって異なった形へと変化し現在の「ハロウィーン」として洗練され近年日本へと逆輸入されるに至るが、下田に伝わる「角灯行」は皮肉にも旧時代的で反抗的な風習として明治年間中に廃れてしまい、今日、その形を伝えるものは僅かであるという。

SIGMA DP2x で写真を撮ったよ!(DP2x レビュー)

SIGMA DP2xを買ったので、持ち出して写真を撮っています。
(掲載写真はDP2xで撮影したもの。ただし、撮って出しではありません)

レビュー書こうかと思ってかいてみましたが、難しいです。
自分のなかでも評価が定まっていない。不思議なカメラ。

「あぁこれはFoveonに嵌まる人出るだろうな」という圧倒的描写を誇る異質の写りと、
「使ってると他メーカーのカメラがいかに優秀かを実感する」という、周回遅れ的な操作性とが相まって、
よくも悪くも孤高のカメラとなっています。



【ここが素敵!:当たった時の写りは抜群】

低感度、ほどよい光源下、近接から中間域で、コントラストつきすぎてない状況での描写はすごく精細かつ繊細。
何が違うのかははっきりと言葉にはできないものの、やっぱり何か違う、透明感的なものがある気がする。
あぁやっぱりFoveonは違うんかなぁとびっくりすることがあります。



【ここも素敵!:一眼レフ並みのボケ】

大型センサと換算41mm(実際は24.2mm)F2.8による程よいボケが、やっぱり綺麗。
フルサイズ+単焦点の組み合わせもボケはものっそい綺麗ですが、
やっぱりちょっとボケすぎることもあって、このくらいの溶けすぎずうるさくもない
"程よい"ボケ量が、コンパクトカメラとしては非常に使いやすい焦点距離じゃないかなと思います。



【ここも結構素敵:ボディサイズ】

あんまり小さすぎず、軽すぎず、重すぎず!
軽かったり薄ければ良いってもんじゃないんですよ!
やっぱりモノにはほど良い適正な重さというものが(以下略)。
見た目の大きさに比べると、持ってみた時の軽さは「ひょい」という感じ。
思ったよりも軽いな、と思う人が多いのではと思います。
鞄に入れるならこのサイズまでが限界かなぁと思います。


【ここがちょっと1:時代遅れの23万ドット液晶】

色味は悪くないけど、ちょっと2011年に5万円したカメラに積まれる液晶ではないんじゃないかと。
いまや売れ筋コンデジなら3インチVGA92万ドット液晶とかを普通に搭載している訳で、
2.5インチQVGA23万ドットは、ちょっとあまりに使いづらい。
MFリングとかを付けている割りには、液晶でのピント合わせはけっこう難しいし。
あとコンパクトデジタルカメラの液晶って、撮った写真を他の人に見せる、というシチュエーションも多いので、
そういう時に23万ドットだと「何が写ってるかの確認」にしか使えない。
これが92万ドットだと、どんな風に写ってるかや色がどうだ、コントラストは…と、
やはり格段に"綺麗"に見えるので、きっとFOVEON布教にもプラスになるはず…っ!
一眼レフにとって光学ファインダーが重要なように、
コンデジにとって液晶は重要かつ手抜きすべきでない要素かと思われます。
次はもっと高精細・高コントラストな液晶を載せてほしいです。


【ここがちょっと2:各操作部材の"残念さ"というか】

どうしてかぶせ式キャップなのかとか、ストロボポップアップのバネ強過ぎませんかとか、ボタン類をちょっと触ったときに奥から鳴るスプリング音とかはもうちょっとなんとかしてほしいなとか、レンズ繰り出しのギヤこすれ跡みたいなのが鏡筒に付いてみえるのはよろしくないんじゃないかとか、せめて電池挿入部の周りのプラスチック部材にはシボを打ちませんかとか、せっかくのダイヤルをMF用一択にしちゃうのはもったいなすぎませんかとか、MFを推すなら推すでMF時に中心部拡大してくれても良いんじゃないかとか、いくら何でも書き込み中に操作すると液晶画面乱れるとかプロセッサに余裕なさ過ぎでしょうとか、モーター駆動音頑張り過ぎじゃないかとか、AF合ってないのに合ってるって時々だけど言っちゃってませんかとか。

これらはぜんぶぜんぶ本質的な部分では決してないとは分かっていますが、
このあたりが、実際には店頭で手に取られて、値札と比較されて決められてしまうのが実際な訳で、
Foveonの良さを知らしめたいのであればなおのこと、
お客さんが購入して、撮影して、撮られた写真を目にするまでの障害を取り除く、
万全の努力をメーカー側はするべきなんじゃないかなと、そう思います。

Foveonの性能の良さがあるからこそ、
こういったつまらない部分でお客さんが振り落とされてしまうのは、
ものすごく、ものすごく勿体ないと感じてしまってます。



DP2xの癖?をよく見て、DP2xが一番綺麗な描写をする条件を探してセッティングしてやって、
注意して撮影すれば、それはもう他のコンデジとは比べ物にならない、
某社や某社の高額な一眼レフと比較して云々というレベルの大ホームランをたたき出します。

…たたき出しますが、じゃあこの描写は、他のベイヤー配列一眼レフで撮影するのが不可能な、
本当に唯一無二な描写なのかと問われれば、いやそこまでのことはないんじゃないかとも思います。
おそらく撮影者の腕や調整の工夫でカバーできる領分が結構ある。

…僕はまだFoveonならでは、という描写を撮れるステージにまでは達していない、というのもあります。
なので、それなりに小さくて軽くて描写は良いけど当たり外れがあまりに多いのでココ一番では任せにくい、
大事な撮影には結局よっこらしょと一眼を持ってちゃいますよと、いまはこうなっちゃう。

じゃあ、と普段使いに持ち出しても、
今度は最近の秀才コンデジ系ソツのなさ(高感度とか俊敏さとか手ぶれ補正とかの便利機能的な意味で)が
ありませんから、気を使って、DP2x様の魅力を引き出す撮り方を、考え考え撮影する必要がある。
カメラとしても使われ方としてもスイートスポットがえらく狭いなぁと思ってしまいます。

…いったん惚れた人ならば心中しても後悔のないだろうことは容易に想像できるカメラです。
上の段落はえらい酷評みたいになっちゃってますが、本当に凄いカメラです。
ただ、私とEOS 5D Mark IIのような、愛のない欲得ずくの関係を築くには決定的に不器用です。

果たしてこの子とは心中する覚悟がないと魅力を引き出し切れないんじゃないか、と、
そんな一昔前のメロドラマ的発想が出て来てしまって(きっと柱の影から市原悦子が覗いている)、
このカメラに対してそれだけかしずく価値があるのか、どうすんだ(何を?)という点が、
正直いまの自分では決めかねているところなのです。

寝正月

年末大晦日は店舗をやっておりません、
受け渡しのみの営業となるので十八時で閉店いたします。
どうぞお遅れになりませんように。お待ちしております。

予約の際に、電話口の向こうにいるであろうお姉さんはわざわざ、
優しく、そしてやや甘い声でそう注意してくれたのにすっかり忘れていた。

気づいたのは携帯に見知らぬ番号からの不在着信が四件も入っていたからだった。
十八時少し過ぎに地下鉄の改札を走り抜け、静かなビル街を駆けた。
のれんをおろす準備をしているおじさんのやや驚いたような顔を感じながら、
すみません、まだいけますか、と敢えて息せき切った様子でお願いをした。
すみません、おせちを、取りに来ました。

関東で過ごす一人きりの正月の過ごし方がよく分からなかった。

初詣に行くのも寒い、それならばいっそ寝正月を決め込もうと思った。
納会の翌日から部屋を掃除し、大量のお酒を買い込んだ。
食料については栗きんとんだけは自分で大量につくろうと決意したが、
いかんせん和食を男独りで作るのは無理だと他の料理は早々に諦めた。
幸い、やや非人間的な長時間労働の対価として小金は持っている。

ネットで調べた、超の付くほどの高級料亭に電話をした。
おせちを一人分、もう少し量があってもいいのですが、おねがい出来ますか。
普通は四人分からしか作っていないのですが、と困惑するお姉さんに、
お願いします、せめて、ひとりで過ごすお正月だから、
美味しいものを食べたいと思うのですと頼み込んだ。
少々、お待ち下さいと言われ、かなり待たされた後、
本来でしたらこういうことはしないのですがと、繰り返し言われた。
一人分をお包みしますので、三十一日、お受け取りにいらして下さい。

覚悟はしていたものの、手にして渡す時には狼狽してしまう額の代金を払った。
受け取ったおせちのお重は陶器製の二段重ねで、ずっしりと重かった。
紙袋に入れられたお重の上には縮緬の袋が乗っていた。
袋を開けると料理長か女将か、はたまた主人か、
偉い人の書いた達筆な挨拶文とお品書き、朱塗りの盃、
それと小さな徳利も入っていた。文は読めなかった。

徳利には甘く、形容しがたい香りの黄色いお酒が入っていた。
調べた時にはそんなものが付いているとは書いていなかったので、
一人分のおせちを取りにくる若く寂しい変わり者にたいして、
何らかの情けがかけられたのかもしれない。

六畳一間、フローリングの家は底冷えがした。暖房機は未だ押し入れの中である。
今年の寒さは大したことない、そう高をくくっていたのが完全に裏目に出た。
靴下を二枚履くことで寒さをやり過ごすことにした。
とりあえず冷えきった部屋のことは忘れて、
持ち帰ったおせちを座卓の中央にそっと鎮座させた。
陶器の器はやや黒みがかった朱色で、すこしざらっとした光沢を放っていた。

テレビが部屋にないという事実は、想像以上に気分を沈めるのに効果的だった。
冷蔵庫の鳴らす連続的な低音だけが響いていた。
その音に耐えられず、ワインを冷蔵庫から取り出してグラスに注いだ。
他の家庭ならおそらく紅白なり格闘技なり、お笑い番組なりの年末長大型番組で、
それなりの一家団欒を過ごしているのだろう。
友達と集まって鍋パーティーなどをやっている若者だっているに違いない。
年越しイベントに参加するという手だってあったはずだ。
なぜ他の手段をとることが出来なかったのだろうか。しかし考えるのをやめた。
手元の携帯を見た。一番近い着信履歴は12月22日、メールは26日だった。

フライング、とつぶやきながらおせちを開けた。
色とりどりの品々が、上品に整列していた。伊勢海老が僕の方を見ていた。
箸にとったおかずは口の中でやさしい香りを広げた。
蚫はしっとりと、煮物はあくまでほっこりとしていた。
魚はきちんと締まって、優しい味だった。蒲鉾でさえも、なにか違っていた。

空になったグラスにもう一度ワインを注いだ。もう三度だった気もしていた。
家庭で作る料理とは似ても似つかないその味を楽しみながら、
しかし思い浮かべるのは家の、郷里のことだった。
おせちの味はもう関係なかったのかもしれない。

途中で電話がなった。友達からの電話だった。
友達は、いまみんなで鍋パーティーをやっているんだ、と言った。
お前はなにしてんの、そう聞かれた。

家族と、これから家族になる人と、紅白をみんなで見ていると答えた。
そう、悪かったね、じゃ、切るよ。良いお年を。そう言って電話は切れた。
待ってくれ、切らないで、僕もそこに行っていいかな。そうは言えなかった。

ワインの瓶はすぐになくなり、すぐウイスキーに変わった。
もうおせちの味なんて分からなくなっていた。
食べて、食べて、飲んだ。頭痛がした。
それでも、食べて、食べて、飲んだ。
涙を流したりしないように気をつけながら。

気がつくと突っ伏して眠っていた知らない間に年を越していた。
激烈な吐き気と頭痛がした。膝のあたりが冷たかった。
ワインの瓶が倒れて床に血だまりのように広がっていた。
携帯がワインに使ってほのかに揺れていた。ズボンが紫色に染まっていた。
おせちはもう乾いていた。

頭痛に耐えながらワインを片付けた。時々は耐えきれずにトイレに駆けた。
勿体ないとは思ったが、残りのおせちには手を付ける気にならなかった。
全部食べてしまうと、何かに負けてしまう気が無性にしてしまった。
時計を見るとまだ朝と言って良い時間だったが、もう飲み始めることにした。
次は冷蔵庫に入れていた日本酒を飲むことにした。純米酒を用意していた。
日が高いうちに飲むお酒は背徳的な味がした。美味しいとは思わなかった。
ただ飲めばこの頭痛が収まるかもしれない、この気持ちが静まるかもしれない。
あの、すこし浮き上がる気分を、こめかみが暖かくなるのを感じ、そう思った。

飲んでは吐き、吐いては飲んだ。飲んでは吐き、吐いては飲んだ。
もう時間なんて感じたくない。ワインにまみれた携帯を捨てた。
パソコンも捨て、時計も捨てて、雨戸を閉めた。
ふらふらした足取りでコンビニへ行った。酔えるものなら何でも良かった。
カップ酒の6本セットを掴んでレジに向かった。
店員は怯えたような、不審がったような目でこちらを見たが、気にならなかった。
ただ、飲みたかった。

実家から両親が迎えに来た。
気がつけば半月近くが経過して、会社の上司から連絡が行ったらしい。
迷惑そうな大家と一緒にそろそろと入って来た両親は、
部屋に散乱するガラスのカップと、部屋に渦巻く酒とゴミの悪臭、
その中にあぐらをかいてコップを片手にする息子の様子に驚いたようだった。
ふわふわした気持ちの中で両親を見上げた。
もう、どうでも良かった。なぜか笑いが込み上げて来た。
ただ、この酩酊に浮かび上がる時間が終わりを告げていること、
おそらくはこの状況から脱しなければならないこと、
これから酷く辛い日々が幕を開けようとしていることだけは分かった。
これが最後の一杯か、そう呟いて後ろを向き、新しいカップ酒の蓋を開けた。
視界の端で、母が泣き崩れるのが見えた。

あけましておめでとうございます!今年もよろしく!
今年もこんな感じでのんべんだらりと行く所存です!
お酒はみなさん、ほどほどに!(父親に抱き起こされながら)