写真、撮る、見る


 
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【お知らせ】
年末に東京で写真展やります。来てね。
 
伊藤公一写真展「HOPE」
 
2015年12月21日〜27日 12:00-19:00
Photo Galley Place M ( http://www.placem.com )
 
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押せば撮れる。写真はそうです。出来上がったフィルムなりデータなりはそのままでは押して撮られた画像情報でしかない。その時点からずっと、画像情報そのものは完全にニュートラルです。これは常にニュートラル。あくまでその画像情報に意味をもとめるのは「撮影者」であり、「鑑賞者」です。
 
撮影者は「ただ目の前にある美しいものをそのまま写し切ってやるのだ」や「やべっ間違って押しちゃった」や「なんとなく目の前でいいなと思ったから」や「大日如来の名にかけて」や、その他いろいろのきっかけを持ってその画像情報生成を行います。出来上がった画像情報じたいには、よかれ悪しかれ撮影者の意図、もしくは企図と呼んでいいであろうナニモノカが、ある種のコードに則って練り込められる、もしくは練りこまれてしまう。これをここでは便宜的にナニモノカS(撮影者のS)と呼びます。
 
そして撮影者によってナニモノカSが練りこまれて、生成された画像が、基本的には鑑賞者、ないしは編集者としての撮影者、によって一度眺められ、ナニモノカSの変容や強化/弱体化をへて、写真として完成します。
しつこいですが注記しておくと、ベレー帽のおっさんが筆を置いて「うむ、できた!」的なパターンだけとは当然限らなくて、「はーい、じーどりー!」パシャ「あ、これで大丈夫、今日はありがとうございましたー」「あははー」みたいなの(どんなのだ)も含めてここでは”完成"と呼びましょう。実際にはレリーズを押して画像が記録されちゃっただけ、という場合も十分ある。
 
で、出来上がった写真は何らかの形で撮影者ではない人に提示されて、その画像を見る「鑑賞者」は、鑑賞者自身のもつコーディングルール的なものに従って画像からナニモノカをよみとっていく。写真に限らずですが、写真は特にそういう経緯を経ます。これをナニモノカK(鑑賞者のK)としましょう。朝ごはんを食べて写真を撮ってツイッターにあげてタイムラインで誰かが見て、というまでのよくある流れですね。
 
さきに細かい話をいっておくと、写真はいわゆる”作品”として、さらには日常の事物すべてに拡張することも出来ます。お前に提示されるすべてのものはシグナルとなるのだ、っていうやつです。男女間で喧嘩とかするとこういうすべてがシグナルじゃないかみたいな疑心暗鬼になったりしませんか。それです。あれ辛いですよね。話が逸れました。
 
で、そういう筋で進めると、写真の上手い下手って分解してみるといろんな言い方ができると思っていて、
 
(α)独創的なナニモノカSを練り込みにかかってる
(β)他の人では無理なアクロバティックナニモノカSを練り込める
(γ)ナニモノカSを練り込むコードが美しい
 
とか、いろいろな要素の合わせ技になるでしょう。練り込みたいナニモノカSはとても独創的なのに技法(コーディング)に失敗して頭でっかちな写真になってるーとか、ペラッペラとしか言いようのないなナニモノカSしかこの写真からはナニモノカKとして読み取れないけど、技法は超美麗でため息をつくほど素敵なので、きっとナニモノカSはその素敵な美しさそのものなんだろうな、とか。
 
ただすいません、この辺は僕が思想練り込み写真至上主義に偏ってる可能性を留意してもらって、言葉表現の傾き加減はわり引いて考えてください。
 

 
さて、この一連のプロセスにおいて、私が考えるここでの問題は3つです。
 
(1)ナニモノカSに"貴賎"はあるか
(2)従うべきコードのコーディングルールは誰が決めるものなのか
(3)ナニモノカSとナニモノカKは一致するか、一致する必要があるか
 
まず(1)のナニモノカSに”貴賎"はあるか、なんですけど、これは先に政治的に正しい回答でいうと「ありません」で、どの写真もどれも良い悪いありますよね、で終わりますが、それじゃあんまり面白くなくて。段落のこれ以降はぼくの極私的意見になりますが、撮影者としての私は、鑑賞者が写真に対峙しナニモノカKを生成する”コスト"に見合うだけのナニモノカSは最低限練りこむ格闘をするべきだと思っています。
 
あと、ナニモノカSを完全に他人の、もしくは既存の価値観から持ってきたもの(たとえば、写真教室の先生が指し示すお手本通りに作り込むようにがんばりました!ほらまるで先生のお手本写真みたいでしょう!的な)とされた写真は私は見ていて辛いと感じます。撮るのは当然好きにすればよくて、展示したりするのも別に好きにすればいいんですが、私はわくわくして行って見て伝統的な教室講師の価値観コピーがずらっと並んだ色鮮やかな写真ばっかり見て筆で芳名帳だけ書いてギャラリー出たら、希望としてはオリジナリティ的なの欲しかったなぁって、損した気分になると。webとかは好きにすればいいんじゃないですかね(適当)。
 
ついでのイトウの好みを言っておくと、絵本作家で、クリス・ヴァン・オールズバーグっていう人がいて、あの、ほら、「ジュマンジ」「ポーラーエクスプレス(急行『北極号』)」って映画あったと思うんですけど、あれの原作の人なんですが、その人が書いたモノクロの絵本に「ハリス・バーディックの謎」という珠玉の絵本があります。
 
その絵本は「ピーター・ウェンダーズという謎の人物が出版社に売り込みに来た絵本作品14本のイメージカットと短い説明文」ということで14枚のイラストと、それぞれに短い説明文が載っているものです。で、それがまたそのそれぞれのイラストが、すごいんですよ。ものすごく謎と不思議とワクワク感を秘めているというか。「これってどうなってるんだろう」「何が始まるのだろう」「どうなった結果がこうなんだろう」って、イラストの上下左右過去未来、全方向に対してイメージを膨らませたくなるんですよね。知らんがなってなるかもですが、僕はそういうのが好きです。
 
記録写真に興味がない個人的趣向もあるのは重々承知なので、そういう写真がいいんだっていう人もいて全然いいんですけど、僕は、目の前の写真をトリガにして写真の前後左右上下、過去未来、写真から引きずり出せそうな物語とか、はたまた撮った人や観た人の気持ちとかをいろいろ展開できるような、そんな写真を観たいなとつねづね思っています。できれば、自分もそうあろうと思ってます。同意してもらわなくてもいいです。あと「ハリス・バーディックの謎」は超おすすめです。お子様の情操教育にもぜひ。
 
さて寄り道しながらすすんでます。
 
次の(2)のコードのルールですが、本人の美観とか主義とかセンスとか、はたまた時代の様式(雑な言い換えをするなら「流行り」と言ってもいいです)を完全に無視した俺様ルールはナニモノカKの生成を阻害する要因になりますから、あんまり無茶をするばかりが良いことではないのではないかと思います。
 
ここは従来の規範に乗っかっておくという手も、ナニモノカSとナニモノカKの一致性なんかを重視するのであれば戦略的には有効だと思います。三分割構図連打とか、完全適正露出を狙うよ、とか、あくまでも余計な被写体は画面から排除するよ、とか。
 
ただし、あえてルールの独自確立を目指す道はあると考えています。ここでの独自確立っていうのはイメージしているのは、例えば、インクをボタボタ垂らす技法(ドリッピング)での表現を打ち立てたポロックとかああいう感じ。そこの色とかコントラストとかピントとか粒状感とかそういったものの取捨選択だったり見え感だったりをどうする(どうなる)か、はたまた構図をどうするどこを切ってどこを入れてどう写すどう隠すどうボカすどう配置するとどういうナニモノカKを生成しうるか、についての挑戦はアリだろうと。
 
(3)のナニモノカSとナニモノカKの一致を目指すべきかは、どうなんでしょう。どうなんでしょうね。これも私の個人的な見解ですが、たとえ一致を目指そうとも一致にいたることはない (身体性や価値観、環境影響なんかもきっとある)でしょう。ただしコーディングの段階で鑑賞者としての撮影者もまた撮影者の中に存在するわけで、そこのナニモノカSとナニモノカS’みたいな感じのやりとりには、一致を目指していろいろ悩むことになるんだろうと思います。「自分の出したいイメージにやっと近づきました!」みたいな。
 
三者の中に生成されるナニモノカKとの一致も、一義的には目指すべき話になると思うんですが、ナニモノカKを生成する鑑賞者想定は、必ずしも目の前の誰か、webで知り合っている友達、家族、など、「いまこの世に存在している実在の人間」である必要は必ずしもない、という既出の論を僕も支持したいです。撮影者にとって想定すべき鑑賞者像は、神の観察眼を持つ理論的理想鑑賞者であって、「いまの愚民どもに私の写真芸術は理解できないのだ」という姿勢も(技量確認をふくめた留保つきではありながら)肯定されるものである、僕はそう考えています。
 
毎度毎度オチもなくなんか同じようなもやっとした長文の話をいつもしている気がします。

5000万画素のデジタル一眼レフ EOS 5Ds を買ったよ!レビューするよ!

 

 
 
約3年間使い倒してきた EOS-1D X(約1800万画素)をドナドナして、約5060万画素のデジタル一眼レフ、EOS 5Dsを買いました!

なんでよって話になるかと思いますが、理由は、
 
「5000万画素の高解像性能は5000万画素でないと出せない」
 
ことに尽きます。
 
ピクセルクオリティとして、等倍状態での滑らかさやSNを見ると明らかに1DXが上です。
ただ、A3ノビを越えA2以上のサイズに拡大した場合、またweb用に縮小した画像、
これらを見比べたときの解像性能 ( 解像"感"のようなふわふわした印象論ではなく、
はっきりとした"性能"です)が、もう圧倒的に違う。ぜんぜん違う。
 
1DXに比べるとノイズに弱いのは撮影や現像で頑張ればいいんです。
1DXに比べるとダイナミックレンジが狭いのは注意して露出を決めればいいんです。
1DXに比べるとAFや連写がちょっと遅いのは眼と集中力を鍛えて対応すればいいんです。
でも、この高解像度は1800万画素の1DXではどうやっても出せない。そう考えて乗り換えました。
 
ただ1DXは本当に気に入っていたので、できれば買い増しが良かったけれども、そのお金は出せず、
泣く泣くのドナドナとなりました…さようなら1DX…( ´༎ຶ﹃༎ຶ)
 
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EOS 5Ds + EF35mm F2 IS USM (4点とも)
 
 
…使いはじめの感想としては、「便利に使えるdpシリーズ」。
だいたいの使用感はdpと似た感じですが、ちょっとだけ違う点があって、書き出してみました。
 

  1. 感度:だいたいISO1600〜ISO3200までは使える
  2. 電池:LP-E6Nひとつで800〜1000枚くらいは撮れる
  3. 液晶:液晶の色とコントラストはとても綺麗
  4. 操作:ボタンカスタマイズとサーボAFで動きモノをがっつり追える
  5. 官能:単写であればモタつきを気にすることはありません
  6. 運搬:カバン内のスペースは意外と変わらない。重さはほら、比べたらdpに失礼やないですか。
  7. 画質:レンズに依存しますね。dpのレンズ素敵よねぇ…(溜息)
  8. デザイン:dpシリーズの圧勝!完全勝利!

 
…気軽に使えるちょっと重いdpシリーズと考えると、これはこれでアリかなと思います。
 
 

EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM
  

EOS 5Ds + EF35mm F2 IS USM 
 
 
【5Dsのここが◎:5000万画素の解像性能は伊達じゃない】
 
ちょっとはてなフォトライフは圧縮ひどすぎて何がなにやらわかんないですが、
そうです、解像性能ですよ。圧倒的です。圧倒的です。圧倒的。
 
誰ですか、2000〜2400万画素がベストバランスとか言った人は!
センサに関しては「SNが一緒なら解像性能は高いほうが正義」だと僕は考えていて、
素数がたかだか1DXの3倍、水平/垂直解像度にするとたった1.67倍の向上ではありますが、
ガリを見ると、はっきりと「あ、画質上がったな」って思います。
 
ノイズは、うーん、等倍でみると感覚的にはEOS 5D Mark II と同じくらい。
ISO3200まではふつうに使えて、それ以上は気にするかな、という感じ。
とはいえ、結果的に出力サイズで見ると粒が小さいので、意外に大丈夫に思えたりします。
 
うーん、解像性能的には満点なんですけど、
どんだけISOを引き上げても完全滑らかノイズレス!とはいかないので、
撮影が制限される箇所がでてくると予想されます。ライブ撮影とかはさすがに厳しそう。
 
 


 
 
【5Dsのここが◯:古いレンズもふっつうに使えるよ!】

「5000万画素に対応するには最新のレンズでなければ!」みたいに
雑誌とかwebレビューで書かれてますよね。
 
あれ、ぼくは嘘だと思ってます。
嘘と言っちゃ言い過ぎですね、必ずしも、正しくないです。
 
ためしに、作例を載っけてみました。上は全体、下は拡大。
載せたのは時代遅れのEF50mm F1.4 USM。1993年発売、20年以上前のレンズです。
これはF2.8まで絞って撮影した奈良公園のシカ。シカかわいい。 

上の描写で、これが"使えるかどうか"はみた人の判断になると思うんですが、
個人的には、これは5000万画素でも十分「使える」と言っていいんじゃないかと思います。
(ていうかはてなの画像アップロードは圧縮ヒドイ…レビューできないじゃないか…)
 
 
…結局、あれは、要はレンズとセンサの性能のボトルネックがどちらにあるんですか、
というだけの話であって、これまでセンサ側にあったボトルネックが、こんど古いレンズの
場合はレンズに行っちゃうんだよ、っていうことだとぼくは思うんですよ。
 
 

EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM。絞りF1.4。
 
 
ちょっと古いレンズなら従来の2400万画素前後の解像度以上に全く周波数レスポンスが
ないというわけではないので、古いレンズも、センサ側の解像度向上にともなった分だけ
精細な描写をするようになります。
 
具体的には線の細い描写ができるようになってくる。
良いレンズはもっとよく、そうでないレンズは、それなりに。
普通のレンズと思ってたのに「このレンズ、こんな緻密な写りをするのか!」って
驚く場面もけっこう出てきます。
 
確かにあれです、昨今の1ピクセルの収差もゆるさないよ!みたいなレンズでない場合、
開放付近で撮影すると、ふわっとした色収差がにじむのは確認できます。
が、よくみるとその奥に、実は少し薄く細い線としてきちんと芯が結像しているのだ、ということが、
5000万画素だと、分かる。見える。しっかりわかる。
 
ああ、レンズの力はセンサで制限されていたのか、ということが初めて分かる不思議な経験。
 
 

EOS 5Ds + EF70-200m F4L IS USM。ISOは1600くらい
 
逆に、高解像性能を有する最新のレンズの場合、とにかくもうがっちりとした濃い味、
アブラマシマシで脳髄ダイレクトに訴えかける高周波成分の愉悦を味わうことができます。
瓦の一つ一つ、羽毛の一本、鋲に刻印されたメーカー名まできっちりと映し出されているのを確認して、
えも言われぬ背徳的な高揚感に浸るのも思いのままです。
 
「愉悦にはシグマArtとかOtusとか買わんといかんのか」と思いきや、
実はEF70-200mm F4L IS程度でも普通に5000万画素程度なら解像しきっちゃうので、
変に出費に怯える必要はありません。沼ってもべつにいいですが。シグマの50Artとか気になってる。
 
 

EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM
 
 
【5Dsのここが◯:意外にぶれない】
 
手持ちでも意外にぶれません。大丈夫。でもこれは僕のカメラホールド技術の高さかもしれないので、
あんまり触れないようにします。少なくとも三脚必須とかじゃないです。気軽に持ち歩いて撮れます。
 
 

EOS 5Ds + EF35mm FS IS USM
 
 
【5Dsのここが△:撮影後の共有に難あり】
 
カメラ自体の性能はやっぱり信頼と実績の5D系です、業務ユーザーも数多く使っている、
よく練られた操作系とユーザーを待たせないレスポンスは、やっぱり使ってて違和感がない。
 
ただし個人の趣味で使っていると「撮影できてデータが記録できて納品できます」だけでは、
もう足りない時代なのだな、と思います。
 
いまや撮影後にweb共有しにくいことは立派に製品としての欠点になる
 
というのは個人的な持論ですが、このカメラ、無線機能がありません。
いまどき。もう2015年なのに!21世紀なのに!まぁ5D3と一緒っちゃ一緒ですが。
そのため、CFとSDのデュアルスロットのSD側にEye-Fi mobi pro カードを入れて
画像を無線でスマホに転送できるフローを作りました。
 
…作りましたが!が!これが大変だったのよ!このフローを作るのが!もうほんと大変だったんですよ!
なんというかアングラ感満載で!みんなどうやってんの!?みんなアングラに耐えてんの?
なによりもEye-Fi mobi アプリが駄目!ダメダメ(※カメラの不満じゃなくなってますが)!
  
「勝手にスマホ内全ての画像を掌握しようとした挙句、残容量を使い切ってフリーズして死亡する」
 
とか謎の挙動をするのよ!削除だよ削除!即削除!
 
結局、1DX時代に重宝した Shuttersnitch アプリにEye-Fiの設定を覚え込ませて(やり方は公式だけどアングラっぽい)、
ようやっと、デュアルスロットとプロテクトボタンと怪しいソフトを駆使してのデータ転送。
設定にはほぼ半日作業。もうクタクタ。
 
これ多分ふつうに写真撮って転送したいだけの人は使えないと思います。無理っす、これ。
もうカメラは最初からネットに転送することを前提に作り上げていって良いのではないかと思いました(小並感)。
 
 

EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM
 
 
【5Dsのここが×:連写撮影後のプレビュー遅延】
  
…いきなりマニアックになりますが、ここがもう唯一の致命傷と言って良いこのカメラの弱点です。
(人によっては高感度とか、1D系でないこととかが致命傷と思う人もいるかもですが)
1DXとのリプレースを本気で最後まで悩んだ点がここにあります。
 
ふつう、カメラは撮影したあとにプレビュー表示が出るように設定されているはずなんですが、
このカメラは撮影→カード書き込み→プレビュー、となります。他のカメラもたぶんそう?
 
で、このカメラ、データ量が多いからか、高速連写したあとにプレビューでピント確認したいのに
書き込みがひと段落するまでプレビューが出てこないんですよね。これが困った。すごく困った。
 
例えば、人物撮影とかで、ピントと目線と姿勢を、と思って連写で撮ったあとだと、ピント確認が
すぐにできない。撮りなおしか次行っていいのか、その確認に一拍、二拍、待たされるんですよ。 
 
単写だとあまり気にならないのでこれがネックになる人は限られているかもですが、
結構これは場合によっては不便に感じる人が出るかもしれません。
 
僕は5000万画素の魅力に惹かれて、あと二台持つ財力がないので買い替えにしましたが、
例えばお仕事をされている方とか、これ一台で全てを賄うには、5D3の万能っぷりとかから見ると
少しバランスを崩している部分があるので、よく考えたほうが良いです。買うなら、買い増し。
 
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ここでおすすめですよーって書いたところで、
吟味せずに買うカメラではないのですが(笑)、
個人的にはけっこうおすすめです。解像性能が欲しい方は、ぜひ。
 

あじさいのくに


   
この季節の塹壕堀りは良いことも悪いこともあります、良いことは地面がぬかるんで比較的掘りやすいことで、いざとなれば銃床で突ついて掘り進むこともできたからです。理官上がりの私からスコップを奪う者は居ませんでしたが、高校から即配置された初年官は飯の数は多い上官から員数合わせに奪われて泣きながらそうやって掘っていました。悪いこともまた、地面がぬかるんでいるため掘ったさきから泥水が溜まり続けてしまうことでした。施設隊が指揮する場合は排水も設計されましたが、そうでなければ急ごしらえでその辺りのことは後まわしにされてしまい、泥に半身を浸けて座り続ける羽目になりました。昼間は暑くなりますが夜はまだかなり冷え、ブーツに羊毛の靴下を履いていましたが足はぶよぶよした白い塊のようになりました。走ると剥けた踵が擦れて大変痛みます。手当をしてもキリがありません。熱を持った時だけ医務に頼んで薬をもらってしのぎました。
 
完全にこう着状態となったこの平野を、私たちの部隊はちまちまとジグザグに掘っていました。排水と落とし込みの破片防護溝をときどきは整備して掘り進んでは、散発的に観測射撃を撃ち込んでいました。時々は弾が飛んできました。はじめは甲高い音に全身が縛られるような恐怖を感じましたが、次第にだいたいどの辺に着弾するのか、音だけでわかるようになりました。しかし近い場所に着弾した時にはやはり恐怖でした。隣の濠に着弾し灰色の泥が降ってきたときも私は隅で震えていました。私だけでなく全員が震えていました。対照に、こちらが撃ち込んだ弾が向こうに着弾したときには大はしゃぎでした。弾のさきに誰がいたのかなどを考えたくなかったからかもしれません。灰色の雲の下ではそんな毎日を過ごしました。
 
すべてを掘り返し燃やし毀してしまった荒廃した地面ではありましたが、ある日、斥候に行った次官が紫陽花を手折ってきました。泥水を汲んで瓶に入れてそこに紫陽花を飾りました。紫陽花の八重咲くごとく弥つ代にを、いませわが背子、見つつしのばぬ。と次官がぼそりとつぶやきました。私は聞き取れずに聞き返しました。もういちどゆっくりと詠んでくれました。
 
自分は大学で国文学やってました、万葉集に収録された紫陽花の句は二首しかないんです、自分は葛城の生まれということもあってこれを詠んだ橘諸兄を調べていました、平城京から恭仁京に遷都させた人なんですが、この人の立てた都は長続きせずに放棄されて、もう完全に森の中に消えてしまっています。これまでにあまり調査もされておらず、歴史の中に埋もれてしまっているんです。とはいえいまはもうその森もないのかもしれません。どうなってしまいましたかね。私も同期も先生もみんな取られちゃいましたが、この塹壕もいつか遺跡になって森のなかに消えるんでしょうか。そう語った次官は瓶を壁に斜めに刺してふらふらと報告に向かいました。その日の晩は綺麗な月が出た夜になりました。紫陽花の青い花びらが空いちめんの星と溶けるように輝くように照られているのを見ながら交代で眠りました。
 
本格的な砲撃はこの日の未明から始まりました。砲撃に対して私たちができることはありません。あれはもともと人を狙って落とすものではないのです、自分の真上に来ないことを祈りながら鉄帽をかぶってただ震えているだけでした。連続で続いていた砲撃の音が一瞬止んだ気がして、おかしいなと思い、顔を上げた瞬間にそれはきました。目の前の空気が白く濁るのが見えました。初年官がくの字に曲がって飛んでいくのが見えました。私も大きな板で殴られたような衝撃をうけ飛ばされました。いつまで倒れていたかは分かりません。気がつくと泥に半分埋まっていました。みんな倒れていました。耳の音が籠って聞こえました。遠くで小隊が陣形を立て直していて、小銃を担いで濠を超えて突撃をするところでした。頭がぼうっとしていました。鼻と耳から血が流れているようでした。
 
拭かないと、目からは大丈夫か、耳と目を塞いだのはよかったのか、そうおもって服を探る手にさっきの紫陽花が手にふれました。あれだけの混乱のなかで紫陽花はなにごともなかったかのように凛として紫の色をはなっていました。あの夜の輝きを思いだしました。私は急に腹が立ってきました。あじさいのくせに。あじさいのくせにどうしてそう誇らしげに咲いているのだ。どうせ手折られなくても来月には枯れてしまう、夏を見ることなく萎れて枯れていくのに、どうしてそんなにも自信満々に咲いていられるのか。枯れることが、散っていくことがお前は怖くないのか、私はどうか、私は怖い、いまここに居ることが、次の瞬間に居なくなってしまうことが。あじさいのくせに、あじさいのくせにどうして、どうして。
 
私は隣で倒れていた友から小銃を掴み取って叫びました、こんなことで良いものか、この怖さを、あのあじさいは、私は、逃げるのではない、逃げたい、進まなければ、わたしはあじさいになりたい、ここで私は前へ進まなくては、そう立ち上がった私の顎を銃弾が抜けていきました。銃弾に弾かれた頰の骨が喉を突き破って頭の中で止まり、だんだんと血が溜まってきました。私は膝から崩れ落ちて倒れこみました。さっきのあじさいに私の血が降り注いで赤黒くなっていましたが、その奥にはまださっきの紫がのこっていました。触ろうとしましたが腕はまったく動かず、そして徐々に私の目が濁ってきました。
 

Canon EOS M2 でも写真を撮ってるよ!


Canon EOS M2 + EF-M22mm F2 STM
高解像度はこちら(Flickr)


dp1Qは借り物ですが、実はEOS M2 を買いまして、一眼レフを持ち出せないときに鞄に放り込んで使っています。
dp1 QuattroがF1だとしたらEOS M2 はラリーカーというかむしろワンボックスカーのような感じですが、
パンケーキレンズのEF-M22mm F2 STM を付けっぱなしにして普段持ち歩く使い方も楽しいです。


EOS M2近影。Acruのハンドストラップをつけて完全なコンデジ運用。これは1DXで撮った。


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持ち歩いて何を撮っているかというと、
撮ってどうするのかよく分からない自炊の記録だったり、


何のために撮るのか不明なご飯写真だったり、


風景とか訪れた場所だったり、


目についた日常の記録だったり。
まぁ、そういうのもたまには。


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EF-M18-55mmをつけるとけっこうな速度でAFします。
パンケーキレンズだと普通。爆速ではないけど、特に不満もない。


dpシリーズと比べちゃうと解像感なんかはアレだれど、
dpには無い軽快な操作性と高感度性能があるので、僕は満足です。

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現在、普段撮り千本ノック中。

SIGMA dp1 Quattro で写真を撮ったよ!


※フル解像度写真はこちら(大サイズ注意)

ひょんなことから、SIGMA dp1 Quattro をお借りしたので写真を撮ってきました。
レビューできるほど撮ってないので、細かいことは書けませんが、
簡単に個人的な感想を書きます。




( この写真はEOS-1DX で撮影。他は dp1 Quattro )

【デザイン】◎:これだけでご飯三杯いける。満点。
 ⇒デザインが良いので前縁のエッジが指に当たって痛いとか言ってはいけない
 ⇒UIは普通に使いやすいです。迷わない。
 ⇒他社もこれくらい「カッコいいでしょ」っていうカメラ出さないかな。




【画質】○:解像度番長。好きな人には堪らない。
 ⇒ダイナミックレンジも狭いし暗部ノイズも多いですが、解像度はピカイチです。
 ⇒ただしここまでの解像性能が活きる場所が実はない。大サイズプリントするしかない。
 ⇒Webでの共有も元データを等倍で眺めて愉悦に浸るしかないのですよね
 ⇒Quattroの苦手被写体を感じる場面は探さないと見つからないので実用上は問題ないです。
 ⇒例えるならば低感度高解像度というフィールドでだけは神になるドラッグレーサーです。従来一眼はラリーカー。



【使い勝手】△:まぁさすがにちょびっともっさりですよね
 ⇒僕のような単写派には、書き込み時間の長さについて特に不満はありません。
 ⇒AFは可もなく不可もなく。
 ⇒バッファは少なくなった?増えたけど足りないのかな?何枚も単写を重ねるとしんどいかも。


【気になったこと】
このカメラは、カメラが活きる条件が非常に限られます。
FOVEONっぽさを感じられる被写体って、高周波なテクスチャがいっぱいあって云々、という感じなんですよね。
この記事に載せている写真も、DPっぽさが感じられるような写真を狙って撮ってます。


「DP2xの癖?をよく見て、DP2xが一番綺麗な描写をする条件を探してセッティングしてやって、
注意して撮影すれば、それはもう他のコンデジとは比べ物にならない、
某社や某社の高額な一眼レフと比較して云々というレベルの大ホームランをたたき出します。」

という文言を私はDP2xをレビューしたときに書いたんですが、
今回のdp1Qもまた、同じ特徴を有しています。そしておそらくはdp2Q、dp3Qも。

しかしDP2xの時代と違って、Merrill、Quattroはその性能を磨き上げた結果、
万能性という視点でバランスポイントを探りにいった一眼レフを遥かに抜き去って孤高の"高画質"、
はっきり言うならば「高解像度」を誇る頂点に立つようになりました。この抜群の性能は非常に魅力的です。

で、ここからは個人的な危惧なので、要はお前の気持ちの問題でしょと言ってもらって良いのですが、
高解像度性能って、言うならば食べ物における塩分と脂分みたいなもんやと思うんですよね。
ほらマクドナルドのポテトの味って、ごちゃごちゃした理屈じゃなくて脳髄ダイレクトにどかんと来るでしょ、
そういう感じなんやと思うんすよ。

だからこそ、私がこのカメラを手にして数時間撮影して感じた懸念は、
「自分がdpという高性能に隷属した高解像写真撮影マシーンに堕してしまわないか」
というもの。

自分が撮るべきものが後方に退いてしまい、ひたすらにdpシリーズを手にして高周波なテクスチャを探して写真に収めて、
SPP(付属の現像ソフト)で現像して、等倍までカリッカリの画像を眺めてうっとりと悶絶して一生を終えるのではないか、
そういうおそれを抱いてしまいました。

塩分美味しい脂分美味しいを続けていった結果に何か繊細なものを失ってしまうのではないか。
そんな危惧を抱くほどに、それほどに恐ろしい性能をもつカメラだと、言っても良いかと思います。


この愉悦に浸るもよし、使いこなして人類の未踏峰に挑むもよし、心中する覚悟がある方には、ぜひともおすすめです。

耳の形に合わせたカスタムイヤホン、カスタムIEM の Fitear MH335DW を作ったよ!

銀座に須山補聴器( http://4133.com/ )さんという補聴器メーカーさんがありまして、工場は千葉の方なんだそうですが、そこの須山では、以前よりFitear というブランドで補聴器用の耳栓や、アーティスト用のインイヤーモニター( http://fitear.jp/music/ )を製作していました。

なんでもステージの上では大音響が邪魔して自分の演奏している曲や声が聞こえないのだそうで、その中で演奏や歌唱に必要な音をアーティストに着実にフィードバック出来るように製作された、遮音性の高いイヤホン。遮音性を高くするために耳型印象を採取して、それで耳の形を把握して、耳の形状にフィットするようなイヤホンをその人専用に製作します。
今回、音楽鑑賞用に一般に販売されているそのイヤホン、Fitear MH335DW を製作してもらいましたので、レビュー記事を作成しました。




■採取された僕の耳型印象


<耳型採取>
わたしは直販で買ったので、まず須山補聴器さんに電話して、予約して、銀座に行って、説明をうけて、耳型を取ってもらう、という手順でした。東銀座駅から歩いて数分の場所に須山補聴器銀座店、というか自社ビル(!)があります。新橋から歩いても10分弱と知れている距離なので、そっちからでも大丈夫です。

到着すると係の方に別の階に案内していただいて、事前の電話予約時に伝えておいた試聴機を出してもらって視聴して、どれを買うかを決めます。私は当初の予約時点ではMH334を、と伝えていましたが、当日に、出来ればMH335DWも…とお話したところ、そのまますぐ棚から出していただけました。とはいえ全種類聞きたい、とかの場合は事前に言っておいた方がよいのかもしれません。

試聴機はカスタムの先にカナル型イヤホンについてる先端のイヤーチップがむりやり付けられている感じのもので、カスタムの完成してからの感想で言うと「微妙に試聴機と仕上がりは違う」「試聴機はボワボワして聞こえてしまうかも」という感じでした。「これじゃ博打じゃね?」と一瞬思ったんですけど、MH334とMH335DWを聞き比べたときにピンと来たのがMH335DWだったので、作ってもらうならMH335DWだろうと、ここでまさかの心変わりと相成りました。

※ネットでいろんな人がいろんな感想を言ってますが、たぶんこのあたりは個人差が凄い大きいので、先入観を持たずあんまり気にしないで自分の直観と感想を大事にした方がよさそうです。とはいえ、まぁ、ネット上の先行レビューを気にしないというのはきっと無理でしょうけど…

で、私は「MH335DW下さい」と言ってしまいまして、じゃあ、というので係の方が準備をして耳型を採取します。実際には言う前から準備されてましたが…。

準備は「耳の奥を怪我してないか」とか「何かあって病院に行くことになっても責任は持てないよ」とかの質問と同意書、です。はいはいとチェックしてサインしたらライト付きの漏斗みたいなもので耳穴を軽くチェックされます。耳垢の有無とかみてるようです。私はいちおう掃除していったつもりだったものの、右耳をみられたときに「耳垢ぜんぶ取るのって難しいですよね」みたいな話をされました。たぶん耳垢残ってたんじゃないかなと思います。辛い。

奥でごそごそやっていた(たぶん印象材を練っていた)係の方がこちらに来られ、白い綿のようなものを栓として耳奥に突っ込まれた後、緑色のにゅるっとしたシリコン的なものを注射器で流し込まれて顎を左右にうごかしたり口を開けたりして(ぜんぶ応対して下さる方が指示してくれます)、しばらく待つと取り外してくれます。で、出来上がったのが上の写真にある緑色のサザエです。

待っている間に「シェルの色」と「フェイスプレートの色」「文字入れの有無と入れる文字」を決めてね、と言われてますので、決めます。イヤホンは耳の中に入って見えなくなる部分、フェイスプレートはつけたときに外から見える部分です。私は悩みました。お店に行くまではシェルを透明、フェイスプレートを黒にしようと思っていたものの、サンプルをみてああぜんぶ透明もいいなと思って悩み、右左分からなくなるから右耳の先端を赤くしといた方が良いかなとも思ったり(結果的にはこれが大正解だった)、係の方は「お客さんは青が似合いそう」という衝撃のリコメンドをしていただいたり、いろいろ10分前後の間にあっちへこっちへ感想がふらついた挙げ句、「両耳ともシェル、フェイスプレートとも透明に、右耳の先端を赤くする」「文字入れは右耳に" zeissizm "って入れる」と決めました。わりと思いつきでこの組み合わせを決めました、たぶんどうなってもあんまり後悔しないと思います。「青が似合いそう」のコメントをガン無視したチョイスにしてしまってごめんなさい。

耳型印象取得が終わったら、金額を聞いて、注文書を確認してもらって、連絡方法を決めて(私はメールで完成連絡をもらい、電話で来店受け取りの時間予約を返答する、でした)その日は終わりです。
代金の支払いは製作後の受け取り時に、耳型取得代金込みの料金をお支払い、という感じでした。郵送の方はその場で支払うらしい。クレジットカード使えます。

終わったら、近くのお店でご飯食べて帰りましょう。明日から仕事頑張ろう、という気になります。私はその日はなりました。
私は銀座の「いきなり!ステーキ」に行きましたが、立ちながら肉を食べてしかも夜はそれほど安くないので微妙な気持ちになりました。

※代理店経由で買う場合は代理店の紹介で別の場所で耳型を取得し、取った耳型を送る、という方法もあるようです。詳細は買う場所で聞いて下さい。




■受け取ってお店を出て喫茶店に入って即撮影したイヤホン。


<製品受け取り>
注文してから出来上がるまでどれくらいかかるか、は人によってだいぶ違うようです。私の場合は「いまだとだいたい一ヶ月くらいかかります」と言われ、9/3に注文をして、完成連絡が10/2に着ましたから、予告通りちょうど一ヶ月でした。二週間で来た、という場合も、1.5ヶ月かかった、という人も散見されるので、気長に待つのがよいと思います。

製作待ちの間、ネット上のレビューを読み漁って過ごしましょう。たぶんぼくは日本語で書かれたFitearと大物カスタムIEMのレビューは記事/ブログを問わずあらかた読んでしまったのではないか。後半は海外のフォーラムのスレッドをえっちらおっちら読んでいました。話が脇道にそれますが、こういう系のレビューを読んでると「いろいろと感想はばらつくな」「音に関するレビューは条件を揃えて並べるのが困難なので難しいよね」「信じられるのは自分だけ、と考えるがたぶん幸せ」あたりの感想が導かれます。

さて、ある日お待ちかねの完成連絡がきて、来店予約して、お店に行って、注意を聞いて、モノを確認して、お金を払って受け取ります。お店出た後にすぐ触りたくなるのが人情ですのでその辺はたぶんみなさん好きにされるんでしょうけど、私は近くのスタバで開封式しました。須山補聴器銀座店の近くにスタバがあります。水曜はおかわり100円の時にサイズアップ出来るキャンペーンやってました。トール頼むとグランデがおかわりできます。…お腹たぷたぷなるわ。上の写真はそこで撮影したもの。ちなみに開封式のときのコーヒーはショートでした。

音はね、衝撃でした。なんというか濃厚。こってりした音がどどどっと迫ってきて凄くてたぶんスタバの席でにやにやしてた。たぶんしてた。

ただ、私の場合、その際に左耳だけ封止がすぐ破れるような感じで、フィットが今イチだったので、悩んだもののその日に再度お店に連絡したうえでお店に伺い、お店の方と相談したうえで、すこし先端を太らせる加工(リフィット)を行ってもらうことにしました。耳型をとったときに左耳だけわりと「すっ」と取れてしまったのでちょっと大丈夫かなと思ってたのもあったのですが、耳型にきっちり合わせた加工をされるのだなと思いました(当たり前なのでしょうが)。
私の場合、10/3に受け取り、再加工を依頼して、10/11に再加工完の連絡を頂きました。思ったより早かったなという印象。ちなみにリフィット後はすごい吸い付くような付け心地ですが、こんどは4時間つづけて聞き続けると太く再加工してもらった左耳がちょっと痛いかも?という感じ。これはしばらく様子を見てみることにします。




Shure SE215との比較。サイズが…違う…


<レビュー>
バスタブ曲線は信じてますがエージングはそれほど信じていないのでもうこの時点でレビューしちゃいますが、性能的には、駆動力と解像性能に定評があるけれども再生帯域の狭いバランスドアーマチュアドライバを低音域、中低音域、高音域それぞれに分担させて、低音2個,中低音2個,高音1個の合計5つ積んだもの。見た目はあの透明なレジンの美しいサザエ型補聴器。

音質は、僕ごときがどうこういうレベルではないです。さくさくと余裕の高解像度できっちりとごまかしなく鳴らしつづけます。音源がもやっとしていなければ全くの曇りなく描写しきっちゃう。どの音もきっちり聞こえるようにバランスをとりながら、低域の質感を向上、という触れ込みですが、「低音の解像感」というのはああなるほど、という感じで、低周波の突発音をすっと減衰させている、というイメージ。普通の形状のスピーカーを積んだいわゆるダイナミック側イヤホン、私が使っているのだと例えばSE215とかではティンパニが「バァーン」と鳴っているのに対してMH335DWだと「バァン!」って鳴っているように聞こえます。引き締まった音、という感想になるのでしょうか。※元の録音がどうなのかは知らない。

高音なんかはきっと減衰がシビアなので試聴機と完成品では印象が違うかもしれません。完成品でも人の耳型によって特性が変わるかもしれません。ユニバーサルのSE846なんかだと高音の出方を調整出来ますよね。たぶんセンシティブなんだろうと思います。私のは高音もしっかりくっきりはっきり鳴ります。「ボーカルが奥に引っ込む」「中高音が低音にマスクされてる」という感想もみられてますが、私の印象はとくにそういう感じはなく、高音までしっかりフラットぉぉぉな感じで、でも精悍な低域がどんと鎮座してるという感想です。弦楽器や打楽器の鳴り方もディティールを伴って迫ってくるというか、叩かれて震えている部分の映像が浮かんできそうな、という月並みな印象文を書いてしまうくらい、とても良いです。まぁ悪かったらキレて良いくらいの価格ではありますが…。

あとコードは硬くて何も考えずに巻くと、ビヨンっ、て暴れてしまうので、お店の方が「8の字巻き」を教えてくれます。頑張って習熟しましょう。私は練習中です。コードは耳の後ろを通して、首の後ろでまとめて、襟にクリップで留めて(ちょっと仰々しい)、私は背中を垂らしてポケットのプレイヤーまで伸ばしています。自分主観では背中にコードを垂らすのは異様な感じと思ってしまいますが、まぁコードの処理などは他人は誰も気にしないでしょうし、慣れるとタッチノイズも皆無でとても快適です。


<まとめ>
モノはある程度のラインまでは値段と性能が比例関係でぐんぐんと伸びていき、ある時点でそのカーブは寝てきます。最初は2倍の価格なら2倍の性能、だったのが、4倍の価格で4倍良いかと言われると、というレベルにある程度からはなってくる。まぁそのカーブが寝たあとのところにこの製品が位置しているのは間違いないので、「コスパ最強」とか「みんな買うべき」とかとは口が裂けても言いませんが、あとはサンクコスト的な自己満足も含みつつ、プロダクトとしての美しさとかカスタムという特別感とか、あとなにより絶対的な音の良さと合わせて、とても素敵なイヤホンだと思います。